【鎌倉殿の13人】大河ドラマゆかりの地に行ってみよう!~源平合戦編①~

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2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で描かれている源平合戦は、日本全国で激闘が繰り広げられました。

東から西へ、北へと勢いは増し、ついに日本の武士の頂点となった源氏の軌跡やゆかりの地をご紹介します。

こんにちは!manaです。

歴史ってロマンがありますよね(急に?!)

見たこともない時代の会ったことのない出来事をイメージするだけでワクワクしませんか?

ゆかりの地に立って空気を感じながらだと、より鮮明に思い浮かべることができますよ。

源平合戦

源平合戦は、治承・寿永の乱ともいい、1180年から1185年までの国内での内乱を指します。

広義では、1156年の保元の乱(源義朝vs平清盛)から1192年鎌倉幕府を開くまでともいわれます。

今回は、以仁王もちひとおうの令旨を受けて源頼政が挙兵した1180年から、1185年に平家が滅亡した壇ノ浦の戦いまでを源平合戦ゆかりの地をご紹介します。

平氏全盛の時代、平清盛をはじめ平氏の横暴に、貴族や武士、僧侶などの不満が溜まっていました。

高倉天皇の兄である以仁王と、源氏でありながら官職に就いていた源頼政が、兵士討伐の兵を挙げたことから源平合戦の幕開けです。

源頼政の挙兵(1180年)

園城寺(滋賀)

以仁王による平氏討伐の計画が露見し、以仁王が京から逃げ込んだのが園城寺です。

この時点で、源頼政の関与は平氏側に知られておらず、園城寺攻撃の大将を任された夜に以仁王と合流して平氏打倒の意を表しました。

平氏側から以仁王の引き渡しを求められても、園城寺は匿い続け、平氏への反抗を取り続けたため、後に焼き討ちに遭います。

園城寺内の派閥争い、源平合戦や南北朝時代の争乱などの幾多の法難に遭う不遇の寺としても知られています。

現在の園城寺は、三井寺という名で親しまれ、桜や紅葉の名所として人気の観光スポットです。

広い境内には、弁慶の引き摺り鐘や、徳川家康が寄進した仁王門(大門)など見どころがたくさんありますよ。

名称:園城寺(三井寺)
住所:滋賀県大津市園城寺町246
URL:http://www.shiga-miidera.or.jp/

宇治平等院(京都)

園城寺も危険にさらされ、以仁王と頼政は興福寺(奈良)に向かいますが、宇治平等院で平氏に追いつかれます。

300騎余りの平氏に対し、50騎余りの頼政側も奮闘しますが、宇治川を渡られ平等院まで退き、以仁王を逃がそうとしました。

源頼政は平等院内で自害し、以仁王も追手によって討ち取られ、源平合戦最初の戦いは敗戦で幕を閉じました。

宇治平等院の敷地内には、頼政が自害したといわれる「扇の芝」が残されています。

平安時代に創建された平等院は園城寺の末寺で、藤原氏ゆかりの寺として栄華を誇っていた名残が見られる雅な寺院です。

名称:宇治平等院
住所:京都府宇治市宇治蓮華116
URL:https://www.byodoin.or.jp/

石橋山の戦い(1180年)

伊豆で挙兵した源頼朝が、神奈川県湯河原で大庭景親に大敗を喫したのが石橋山の戦いです。

300騎の頼朝軍に対し、大庭景親は3000騎、さらに伊東祐親300騎が頼朝軍の背後を塞いでいました。

頼朝軍は散り散りになり、頼朝は土肥の「しとどの窟」に身を隠しました。

追ってきた大庭軍の梶原景時が頼朝の姿を見つけるも、見逃し命を救ったと言い伝えられています。

後に、梶原景時は頼朝の重心となり、鎌倉殿の13人の一人に名を連ねることになります。

名称:しとどの屈
住所:神奈川県足柄下郡湯河原町鍛冶屋

富士川の戦い(1180年)

石橋山の戦いで敗れた頼朝は、房総半島で東国武士の協力を得て体制を立て直し、京を目指しました。

平清盛の孫である維盛これもりを総大将とした平氏軍と頼朝軍が富士川で対峙することとなりました。

維盛軍は、数万羽の水鳥が一気に飛び立った水音を聞き、敵襲と勘違い恐れおののき戦わずして京に逃げ帰ったと言われています。

戦わずして負け戦となった維盛に対する清盛の怒りは、想像に難くありませんね。

富士川の戦いの後、奥州に潜んでいた源義経と頼朝が感動の体面を果たしたとされています。

倶利伽羅峠の戦い(1183年)

頼朝の従弟にあたる源(木曽)義仲も以仁王の令旨を受け信濃で挙兵し、北陸を中心に勢力を拡大していました。

平維盛を総大将とした10万の軍と砺波山で対峙することになった義仲軍は、「火牛の計」と呼ばれる奇策で勝利をおさめました。

寝静まった夜に、松明たいまつを角に付けた牛を平氏軍に向かって放つと、大暴れの牛と慌てた平氏軍で大混乱となりました。

唯一の逃げ場所を求め平氏軍が進んだ先は、俱利伽羅峠の断崖で次から次へと谷底へ落ちていきました。

平維盛は命からがら落ちのび、都を捨てて西国に逃げることとなり、勝利した義仲は京に上洛しました。

名称:源平倶利伽羅峠古戦場跡
住所:富山県小矢部市埴生

まとめ

今回の源平合戦ゆかりの地は、1180年源頼政の挙兵から1183年木曾義仲の俱利伽羅峠の戦いまでをご紹介しました。

すでにこれまでも関西・関東・北陸地方で戦いが繰り広げられていて、源平合戦がいかに日本全国に影響を与える大きな内乱だったことが分かりますね。

次回は、源義経が活躍した戦いとゆかりの地をご紹介するので、お楽しみに!

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