豊臣秀吉が晩年、京都の醍醐寺で開いた花見「醍醐の花見」はご存知でしょうか。
女性ばかり1300人も招待した豪華で盛大な宴と、醍醐寺についてご紹介します。
こんにちは!manaです。
「花の醍醐」とも呼ばれる桜の名所である醍醐寺。
1598年に開かれた花見では、秀吉自らが下見をし、造園や桜の植樹を指示したとされるほどの「本気の花見」でした。
醍醐の花見にまつわる逸話や、醍醐寺の桜の魅力についてご紹介するので、ぜひ最後まで読んでくださいね。
醍醐寺
醍醐寺は、京都市の南東部に広がる笠取山に200万坪の広大な敷地面積を誇る真言宗醍醐派の総本山です。
200万坪って広すぎてイメージがわかないですよね。東京ドーム141個分ですが、今いちピンときません(汗)
醍醐寺の境内には、国宝や重要文化財など寺宝が15万点も所蔵されていて、世界遺産の一つにも登録されています。
さらに寺宝を保存・展示する霊宝館の延床面積は、1,000坪!
なんともスケールの大きなお寺ですね。
醍醐寺は平安末期の開創以降、醍醐天皇や朱雀天皇、足利尊氏に豊臣秀吉など時の権力者の保護を受けて発展を続けました。
現在の金堂は、豊臣秀吉により和歌山・湯浅より移築された建物で、ご本尊の薬師如来坐像が安置されています。
平安時代の木材が残り、鎌倉時代や安土桃山時代の手法も見られるなど、時代が混在する興味深い建物となっています。
醍醐寺のシンボルともいえる五重塔は、醍醐天皇の冥福を祈るために第一皇子の朱雀天皇が建立しました。
高さは約38m、屋根の上の相輪は約13mもあり、京都で最古の木造建築物といわれています。
「醍醐の花見」の翌年に造られた安土桃山時代を代表する建築物です。
門は黒漆塗りで、天皇家の正紋である「菊」のご紋と、現在は日本政府の正紋となっている「五七の桐」が金箔で施されています。
三宝院は、醍醐寺の本坊的な役割で、歴代座主の居住地となっています。
豊臣秀吉が自ら基本設計をして作られた見事な回遊式庭園が広がります。
名称:醍醐寺
住所:京都市伏見区醍醐東大路町22
URL:https://www.daigoji.or.jp/
醍醐の花見
「醍醐の花見」は、三宝院の裏側で開催されたと言われています。
醍醐寺は平安時代より桜の名所とされ、しだれ桜、ソメイヨシノ、山桜、八重桜など約1,000本の桜があります。
花見の前に700本もの桜を植えたとされていて、秀吉の宴にかける強い思いが伝わってきますね。
「醍醐の花見」の前年に醍醐寺を訪れた秀吉は、桜の美しさに感嘆し、翌年の花見開催を決めました。
さらに、花見前には醍醐寺を下見し、三宝院や庭園、桜の移植などを指示したされています。
1598年4月20日に、約1,300人を招待して盛大な宴を催しました。
1,300人は女性ばかりで、男性は秀吉、秀頼(子)、旧知の仲である前田利家のみの3人でした。
秀吉の正室である北政所、秀頼の生母である淀殿、側室をはじめ、諸大名の奥方や女中などが参加しました。
境内には8つの茶屋を設け宴を催し、終日花見を楽しんだといわれています。
招かれた女性たちは、2回の衣装替えが命じられ、1人3着の着物が新調されました。
衣装代だけで現在の約40億円の金額に上るといわれ、派手好きな秀吉らしいエピソードですね。
「醍醐の花見」が日本一の花見と言われることがありますが、うなずけます。
桜を植樹して、1,300人も招き、衣装代に40億円かけて花見をする人なんて他にいないですよね。
現在は「醍醐の花見」にならい、毎年4月第2日曜日に「豊太閤花見行列」が開催されています。
当時を模した豪華絢爛な輿の行列が見られますよ。
北政所を先頭に、淀殿、松野丸殿、三の丸殿、加賀殿と側室の次に、前田利家の正室まつの輿が続いたとされています。
「豊太閤花見行列」の輿の順番にも注目してみるとおもしろいですね。
名称:豊太閤花見行列
日時:2022年4月10日(日)13:00~15:00
※上記は予定であり、新型コロナウイルスの影響で変更・中止の可能性があります。最新情報はホームページをご確認ください。
まとめ
京都の桜の名所として名高い醍醐寺と、秀吉が開いた「醍醐の花見」についてご紹介しました。
醍醐寺は敷地面積から、歴史から、花見もスケールが大きくて驚きますね。
2022年の満開時期は4月5日(火)と予想されています。
ぜひ一度訪れて、スケールの大きさに実際にふれてみてくださいね。
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