こんにちは!manaです。
添乗員として5年間働いていた経験を皆さんにお伝えしている【元ツアコンが語る!】第2弾です。
私は添乗員は天職だと思うほど、楽しくやりがいを感じていました。
そんな私が5年間で添乗員を辞めて転職したのかをお伝えしたいと思います。
旅行が好きで、添乗員に興味がある方の参考になれば嬉しいです。
以前のブログで、添乗員の仕事メリット・デメリットをお伝えしているので、合わせて読んでみてくださいね。
辞めた理由① 体力の限界
添乗員の仕事は体力的に過酷です。
集合時刻1時間前スタンバイが基本で、朝8時集合だと7時スタンバイになります。
自宅から集合場所までの移動を1時間とすると、朝起きる時間は5時頃ですね。
そして、解散予定時間が19時だとしても、渋滞や交通トラブルで帰着時間は前後します。
日帰りツアーが続くと、この生活が毎日続きます。キツイですね。
特に、新人時代は仕事がないので、日帰りツアーや1泊2日ツアーで数を稼ぐことになると思います。
長期の旅行が増えてくると、旅行中は規則正しい生活になるので、体力的にラクになりますよ。
以前のブログでもお伝えしていますが、ツアコンは代替がききません。
海外添乗なら尚更で、体調が悪くてもできる限り行かなければなりません。
そのため、過酷な環境下でも、元気に働き続ける気力と体力が必要になります。
私が、ツアコンを20代前半におススメする理由は、体力のある若いうちに経験してほしいからです。
20年後、30年後も同じ働き方をするのは難しいと思ったのが一つ目の理由です。
辞めた理由② 収入が不安定
添乗員は、派遣社員で日当制のため、仕事がなければ収入がありません。
また、福利厚生もなく、国民健康保険や国民年金を自分で全額支払わなければなりません。
正社員だと会社が半分支払ってくれるので、自己負担も半額で済むので大きな違いですよね。
新人時代は、日当額も低いので、数で稼ぐしかありません。
私が所属していた派遣会社は、当時5段階のランク制を取っていて、最初はDランク→C→B→Aで、最高がSランクでした。
私もDランクからスタートし、5年目はSランクの日当をもらっていました。
順当に行けば、一年毎にランクアップできるのですが、指名が少ない・クレームが多いなどの理由でアップできない添乗員もいました。
指名が多いというのは、非常に重要です。
指名について説明する前に、旅行のタイプについて説明させてくださいね。
旅行は、主催型(ツアー)旅行と受注企画型(手配)旅行に大別されています。
主催型は、旅行会社が企画したツアーに、参加者を募集し催行します。
受注企画型は、お客さんの希望する旅行を、旅行会社の営業担当者が企画・催行します。
皆さんがイメージしている添乗員は、ツアー旅行が多いと思います。
私は、ツアーの添乗もしていましたが、メインは手配旅行の添乗員でした。
手配旅行は、会社の慰安旅行や修学旅行・自治会の旅行などで、お客さん同士が知り合いで、幹事と呼ばれるお客さんの代表者がいます。
旅行中、添乗員は幹事さんと話し合いながら旅行を進めていくので、気に入っていただけると次回の旅行時に指名をいただくことができます。
お客さんからの指名は優先してスケジュールされるので、顧客がいる添乗員は強いです。
私も3月、6月、7月、8月、12月に毎年旅行する顧客がいて、確実にスケジュールされていました。
旅行会社の担当者からの指名は、お客さんの指名よりは優先度が下がりますが、スケジュールされやすいです。
担当者が営業で獲得したお客さんに対して、旅行を企画・手配をし、最後の添乗を派遣会社の添乗員に任せます。
担当者が自ら添乗する場合ありますが、自分が行かない場合は、信頼できる添乗員に任せたいというのは当然の心理ですよね。
担当者が苦労して獲得したお客さんに、安心して楽しんでもらえるように、添乗員も努力します。
お客さんに喜んでもらえると、結果的に担当者からの信頼を得ることができ、次回も指名をもらうことができるのです。
4月、5月、9月、10月は、担当者から大口団体の指名が、毎年スケジュールされていました。
残りの月は、ツアーの添乗をしたり、新規担当者やお客さんの添乗をし、次回につなげていました。
指名があると、年間スケジュールも立てやすくなり、収入も安定します。
私は3年目以降は、添乗日数が年間210日以上になったので、収入が安定するようになりました。
それでも、正社員で働くよりは、手取り収入は少なかったです。
さらに、旅行業は景気や情勢に影響を受けやすいため、いつ収入が不安定になるかわからないリスクがありました。
自分の努力ではどうしようもない理由で、収入が安定しないのは厳しいと思ったのが2つ目の理由です。
辞めた理由③ 父親の病気
これまでに挙げた2つの理由で、5年目に入る頃には、添乗員を一生続けるのは難しいと感じていました。
ただ、毎日が刺激的で楽しく仕事していたので、転職について真剣に考えてはいませんでした。
そんな時に受けた父親の余命宣告。私たち家族に残された時間は2年でした。
数年前から父親は闘病していましたが、仕事と両立できていたので、まさか急にタイムリミットが提示されるとは思いませんでした。
でも、むしろ私たち家族にとっては有り難かったです。2年間ではあるけれど、最後に家族で過ごす時間をもらえたのです。
交通事故や急に亡くなってしまったら、本人の無念さや家族の悲しみは計り知れませんよね。
私たちは準備できる時間がありました。
私もこのタイミングで転職を決め、「毎日家に帰ってくる仕事をしたい」と考えました。
多くの方にとって当たり前のことかもしれませんが、添乗員にとっては「家に帰らない」ことが普通なのです。
特に、その頃は2週間程度の海外添乗が増えていて、父親に何かあってもすぐに帰ることができない状況でした。
「父親の死に目に立ち会えない娘になりたくない」と思い、5年目の夏前に退職願を提出しました。
もちろんすぐに退職するつもりもありませんでした。
指名をいただいている添乗が12月まで埋まっているため、全ての仕事を完遂させて辞めさせてもらうことにしました。
退職が決まってからは、一つ一つの添乗をより大切にしつつ、顧客と担当者にお礼の挨拶を済ませていきました。
そして年末の北海道添乗を最後に、5年間の添乗員人生が終わりました。
まとめ
「添乗員は、一生続ける仕事としては難しい」
これが、3つ挙げた根本の理由です。
でも、添乗員として過ごした5年間は、私の人生の大きな財産です。
体力的につらかったり、理不尽なお客さんに怒られ涙したこともあったけど、それ以上にやって良かったと自信を持って言えます。
今でも、添乗員が私の天職だっと言い切れます。
真摯に仕事に向き合い、お客さんに楽しんでもらうように心がけ、担当者に誠実に対応していれば、実績は積み重なり信頼を得ることができます。
信頼は次の仕事につながり、また新しい世界を見せてくれるのです。
もし皆さんが、添乗員に興味があるならば、感性が豊かで、体力のある20代のうちに経験してほしいと思うのです。
年を重ねてからでも遅くはありませんが、リカバリーしやすい若いうちにチャレンジすることをおススメします。
もしチャレンジしたなら、キツくても簡単に諦めずに満足いくまで続けてほしいと思います。
やりきった!と言い切れるまでがんばれたら、次のステージにも胸を張って進むことができますよ。
私も添乗員を辞めたことは、全く後悔していません。
一人でも多くの方が、このブログを読んで添乗員に興味を持ち、チャレンジしたいと思ってくれたら嬉しいです。
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